タイトル | : 距離感を大切にしたほうがいいと思います |
投稿日 | : 2008/05/14(Wed) 05:28 |
投稿者 | : 一般人 |
私も、横から失礼致します。
> 私は、公開裁判なら傍聴し相互に理解を深め考えていくチャンスを
> 与える場だと思っています。
すみれさんが、そう思う、というだけのことだと思います。
全ての人が、そう思っているわけではないと思います。
> 当事者同士は、感情が高まる時期に自己の考えのどこが間違っているのか、知りたいと思っていると思います。
すみれさんのお考えが、そうだということはわかりますが・・・
全ての人が、すみれさんと同じお考えではないように思います。
それに・・そもそも自分の考えの間違いとかど〜とかって・・・そういう問題ではないと思いますが。そのとき、その当事者にとっては、そのような景色がみえていて、そのような考えだったというだけのことです。正しいかどうかは、判断する人次第かなと思いますが・・。
> 夫婦だけしか分からない問題ごとや愛憎を整理し、今後の将来を見据えていくために、自己主張を公平に清算してもらう場だろうと思います。
必ずしもそうではないと思いますが、すみれさんは、そう考えていらっしゃるということだと思います。ももさんの友人がどう考えるかは、また別と思います。
> その為に、傍聴してもらう友人がいれば、弁護士がいない当事者にとって励みは大きいだろうと思います。
すみれさんのお考えがそうだということはわかりますが、ももさんの友人が、すみれさんと同じに思うかどうかはわからないと思いますが・・。
ま、少なくとも私は、すみれさんのようには考えないです。
> 互いに、自己を整理し法的に解決していく場、という一歩進めた形が裁判ですから。
そうでしょ〜〜か??少なくとも、訴えられた側のももさんの友人は、そういう考えになる可能性は低いようにと思います。法的に解決したいと思ってる人というのは、訴える側の人ですから。
> そこには、女性の権利や男性の権利、性的能力の違いの公平さや、それまでの夫婦の共同支援や責任の度合い、などなど、社会的問題として捕らえるべき議論の素材があり、当事者もその基準を知り、自己主張と公正な裁判に臨んでいこうとしているのが深層心理にあると思います。
すみれさんがそう思うってだけでしょ。
こんな仰々しいこと、考えてない人は、たくさんいます。
> 友人の傍聴は、その意味で大きな支援者となってくれることを望まれているという考えもあるのではないでしょうか。
支援の意味が違うように思います。初回に書きましたが、傍聴したって、な〜〜んにもわかりませんよ??事件記録を全部読み込んだところで、ももさんの友人の夫婦のことなんて、一面しかわからないものです。傍聴に、そ〜〜んなに大きな意味はあるとは思えませんが・・・。
> 裁判に立つ当事者とは、自己の考えや権利や義務などを整理してもらうことにあると思っています。
そのように考える人ばかりではないですし、仮にそうだとしても、そのことと、傍聴することの合理的理由にはなりえていないように思います。
山本先生はお優しいのですね。。。私は、すみれさんの意見を読んだ時、それをいえるのは、ももさんの友人だけなように思いました。
ただ、私見として、もう少し、距離間を大切にしてお付き合いしたほうがいいように思いました。
支援と依存。干渉は違うように思います。